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シーガルスの魂を繋いで 東海大学男子バスケットボール部 入野貴幸コーチ




「団結力は負けない」

ビッグファミリーの強みは

さらにパワーアップして

受け継がれていきます。




長く東海大学男子バスケットボール部を

率いてきた陸川章監督が、

昨シーズンをもって退任。

アソシエイトコーチに就任されましたが

その陸川氏からバトンを受け取った

入野貴幸コーチに

今回スポットライトを当てました。



引き継いだ率直なお気持ちや

今の東海大学バスケットボール部について

お聞きしたかったということ、

そしてこれからの大学バスケについて

どう考えていらっしゃるのかを

教えていただきたかったからです。



私自身もお聞きしたいことが沢山あり

今回はインタビューというより

対談に近いような内容ともなりました。


入野コーチの想い、パッション、

その熱量を感じに

東海大学の試合を

観に行きたくなるはずです。











巡り合わせのなかで






――入野コーチのここまでのバスケットボール歴を振り返っていただいてもいいですか。



神奈川県の伊勢原出身です。小学校3年生のときに野球ボールを壁に投げて当てていたら、たまたま野球クラブのコーチが通りかかって、野球に興味があるんだったら日曜日に来なよと言われて。そう言われて小学校のグラウンドに行ったら休みで(笑)。来いって言ったのにやってないのかよ!ということがありまして。当時、姉がバスケットボールをやっていたので体育館に行ってやってみたら面白かった、という始まりです。小4くらいのときに Jリーグができて、そこからはサッカーにのめり込んでいて、小6のときはベルマーレ平塚のユースに行くか、バスケットではミニバスの神奈川の選抜にも一応選ばれていたので、どちらを選ぶかという状態でした。そこから中学でバスケットをやって、高校は東海大学付属諏訪高校、当時東海大三に行きました。そして東海大へ進んで、教員として付属諏訪高校へ着任し、今東海大に戻ってきて、と往復しましたね。バスケットに関しては、小3から中3まで毎年指導者が変わっていって、7年間で7人のコーチに教わったのは大きかったです。



――そこからずっとバスケットは続けていかれるお気持ちでしたか。



高校を卒業するときにコーチとして後釜で、という話があったこともあって、教員採用試験に合格するためには東海大でバスケットをやっていたら間に合わないなというのはあったんですけど、陸さんが指導者として東海大にくるというのを聞いて。3年の9月くらいだったと思います。全日本のキャプテンとやれるんだったら、教えてもらえるんだったらこんな機会ないなと。だから陸さんがコーチに就任したときに、自分が1年生で入って。地元が伊勢原だから、まだ同級生は参加していないなかで自分は早めに練習に参加していたんです。陸さんの1発目のミーティングで「日本一を獲る」と言った場にいましたね。そこの一番最初のミーティングにいられた、というのは大きいです。陸さんの立ち上げの4年間一緒にいられて。そしてこの東海大に来たタイミングが、陸さんの終わりの時期で、巡り合わせだなと思っています。



――巡り合わせですね。聞いていて鳥肌が立ちました。少し戻りますが、高校時代にすでに後釜でというのは、将来的には託したいということだったんですか。



今は女子のコーチの有賀先生(有賀正秋コーチ)が、当時そう言ってくれて、自分も元々指導者をやりたいなというのはありました。当時は若気の至りというか、長野県を変える!歴史を変える!みたいな、そんな思いで入りました。そしてずっと続けてきて、陸さんから大学の後任でという話をいただいて、大学院へ通い始めて、今という流れです。



――早い段階で指導者になると決めていらしたんですね。



当時はあまりプロでやるという流れがなくて。大学の同期には、つくば秀英の稲葉弘法コーチ、東海大相模の原田政和コーチ、福岡第一の今井康輔コーチといて、みんな教員ですね。教員の採用試験の勉強も大学1年から自分でお金を払って行っていて教員採用セミナーも受けていました。



――大学を卒業してすぐ指導者になられたんですよね。私は佐賀の唐津から大学進学で東京へ出てきたのですが、何も分からない状況からいろいろ勉強していたなかで、東海大三はベテラン先生がずっと率いていらっしゃるのかなと思っていたんですね。だから最初に入野さんのお写真を見たときはお若くてびっくりしたんですよ(笑)。



唐津!最初に自力で出たインターハイが佐賀でしたね。呼子大橋を走りましたよ(笑)。そのとき25歳くらいですね。大学卒業の年の2月くらいからは諏訪の練習にすでに参加していて、新人戦で長野吉田高校に2,30点差で負けたんですけど、その代はジュニアオールスターで長野県が全国優勝したときの中心メンバーが沢山いて。負けてスカウティングをやりこんで、次は勝ってインターハイに出られました。次の年はインターハイもウインターカップも負けてしまうんですけど、今振り返れば、出来上がったメニューしかなかった。高校生を鍛える心・技・体、そういったバランスをトレーニングしていくということが分かっていなかったことを、2年目で気付けました。そのあと、3年目からはインターハイは逃さず、ですね。最初に3位に入ったのが28歳でした。3年か5年で結果を出さないといけない、というのはありましたね。



――コーチになられた当初は今と比べると情報が得にくい状況だったと思うのですが、どういう形でコーチングやバスケットボールの勉強はされていましたか?



基本は陸さんがやっていたこと、ですね。東海大で過ごした4年間は本当に大きくて、バスケットをもう1回好きになったというか。どこが相手でもアグレッシブに向かっていくというシーガルス魂、これが構築されていましたね。ディフェンス、リバウンド、ルーズボール、というこのずっと揺るがないものがあって、それが安定したことによって、オフェンスの個性が重なっていったという。このコーチングが、うまくはまりました。そしてやっぱり情報源は東海大からいろいろもらえたり、自分で足を運んだり、ですね。 基本学ぶのは好きな方なので。YouTubeも今みたいにないし、いかに自分から情報を得ていくかという感じでした。






たくさんの人に大学バスケを観てもらいたい






――諏訪には何年いらっしゃいましたか?



18年ですね。実は結構長いんですよ。22歳から40歳まで。



――長い・・・!差し支えなければで大丈夫なのですが、最初に、東海大へというコンタクトは陸川さんからのものでしたか?



陸さんから白羽の矢が立って。でも5年くらいかかったんですよね。まずは大学院を出て学位がないと、ということもあって。大学院に通うようになって湘南と諏訪をひたすら往復していました。月曜日と火曜日は院生、水・木・金・土は自分の授業をして、という感じでした。車の中でスイッチを切り替えていましたね。



――最初、東海大にとお話をいただいたときはどう感じましたか。



思いつきで陸さんが話しているわけではなくて、他にも候補者がいるなかで自分のところに話がきたということは感じていたので、身が引き締まるというか。最初陸さんに「自分がシーガルスのバスケットを・・・」と言うと、「いや、バスケットじゃないんだ。大学だからまず授業、研究、そしてプロジェクトをやっていくなかで、先生たちといい関係性を作っていけるか。それで最後にバスケットだ」と。その授業だったり研究の面だったりを考えて、もしかしたら自分よりプレーヤーとしてのキャリアがあったり、指導力があったりっていうコーチはたくさんいると思うんだけども、学生の指導や関わり、そういうトータル的なところもあって自分を指名したというところがあるんだろうと。授業は高校でもやっていたから苦ではないし、今も大学で一般体育で授業をやっています。高校と大学では学生との関わり方もまた違いますしね。



――東海大に来られたのはいつになりますか。



2023年の4月ですね。



――OBとして、指導者として、ずっと関わりは続いていたと思いますが、今B.LEAGUEもできてというなかで、改めてこれからの東海大がやっていくことはなんでしょうか。



次のステージへ行くための場、育成と勝利のバランスはもちろんなんだけれど、あくまでも彼らの目標を、夢を、実現するためのサポートをする側だと思っています。そのためにバスケットを学び、身体作りを学び、そして考え方を養っていく。 チームはどうあるべきなのかとか、メンタルスキルやマインドセットをどうしていけばいいのかというのを、この4年かけてやる場であるかなと思っています。この前、キックオフミーティングでも一番最初に選手へ伝えたのは、『よいチームで勝ちたい、そして選手として良くなり、人としても善くなっていく』よいチームで勝っていけば、大学バスケ界全体の盛り上がりにも繋がっていくのではないかと思っています。



――大学バスケ界、全体の現状はどうご覧になっていますか。



どこもすごく質が高いしレベルが高い、だけれども観客が少ないところは一番ネックだと感じます。高校の現場をずっとやってきた身として、ウインターカップや初年度のトップリーグに出て思うことは、スポットライトの数が全然違う。大学バスケの支持層を増やす努力をしていかないといけないかなと思っています。



――そこに関しては長年の課題でもありますよね。



そうですね、ずっと。これはたぶん誰か一人が動いてということではなく、みんなが同じ問題意識を持ってやっていかないと、せっかくここまでレベルの高い試合が行われているのに、と思います。その価値を見出すには、自分たちが毎日毎日ベストを尽くして質の高さを求めていくということなんだけれども、それはたぶんどこもやっていることで。東海大には将来のBリーグ候補生もいるからこそ、バスケ界が盛り上がっていくということが一番大事なことだから、それを踏まえても、大学バスケをもっと多くの人に観てもらいたいなと思っています。



――お客さんが増えるということは、「観に行きたいな」と思ってもらえるようなことをやらなきゃいけないということで、それは大学バスケ全体のことなのか、見せ方の部分もあるのか、といろいろ考えますね。



演出とかも踏まえてもっと違うやり方があってもいいかなと思う部分はありますけど、今は外野から見えている視点だけで、自分がもっと中に入らないと、分からないところはあると思います。競技人口は男女ともに大学で減っていくとはいえ、授業をしていてもこれまでバスケをやっていましたという子は多いので、その子たちが観られる環境もあればいいなと思います。













みんなの力を引き出して、みんなで前進していく






――ずっと諏訪を率いてこられて、ご自身が今後どうしようかという気持ちが芽生えたことはありましたか?



最初は長野で、諏訪で、このままだなということはあって、今後どこかでというのは特になかったですね。ただ、ザック(ザック・バランスキー選手/アルバルク東京)たちの代でインターハイで3位に入って、2年後に国体でも準優勝をして、少しバーンアウト気味になったことはあります。まだ優勝はなかったけど30歳で見えてきたな、というか。それでFIBAがやっているコーチクリニック、チェコに自分で勉強をしに行ったりとしながらも、今後も諏訪でという思いはありました。そんななか、陸さんからのお話を聞いて、自分も日本代表でアシスタントコーチをやって色々世界のバスケットも見てきていたので、もっと上でやりたいなというのはどこかで、無意識的にあったのかなと思いました。諏訪の後任も小滝道仁先生を呼ぶことができて。多くの人が動いて尽力していただいたおかげで、スムーズに動けましたね。



――陸川さんが長年率いてきたチームを引き継ぐ、ということの重圧といいますか、プレッシャーのようなものを感じたことはありますか。



プレッシャー・・・。プレッシャーというか、楽しい、ですね。陸さんが創られてきた東海大や大学界の功績だったりいろんなもの、それを一人で超えるのは当然無理なわけで。そうではなくて、みんなの力を引き出してみんなで前進していく、進化していけばいいから、と思っています。まぁ、監督の身長は低くなりますけど、選手の身長は高くなりますしね(笑)。



――(笑)。お話のはじめに戻りますが、陸川さんが東海大にこられた最初の時期、それから最後に次に変わっていくという時期にいらしたということが、歴史を一番知っているということにもなるのかなと思います。



それは本当に大きいです。だからキックオフミーティングで選手にも、縦横思考だ、という話をして。縦は歴史軸、シーガルスがどういう歴史を歩んできたのか。横は世界軸だから、世界がどうなっているのか、バスケも情勢も含めて。そうなるとやっぱりシーガルス立ち上げのときに、陸さんがどういう思いで作ってきたかを、自分や自分たちの代しか知らないかもしれない。そして陸さんの残りの2年を見て。自分が東海大に戻ってきたときのキャプテンが諏訪のキャプテンだった虎徹(黒川虎徹選手/アルティーリ千葉)なんですよね。それもすごいなと思っていて、巡り合わせだなということも感じました。その代の公陽(西田公陽選手/シーホース三河)、太陽(元田太陽選手/秋田ノーザンハピネッツ)、CJ(江原信太朗選手/滋賀レイクス)、この4人の代でスタートを切れたというのも良かったかもしれないです、すごくいい子たちで。余計に人が大事なんだということも思います。



――本当にそうですよね。やっぱり「人」なんですよね、最終的には。



だから丁寧に丁寧にいろんなことをやって、ひとりひとりの歯車が合うように、みんなが歩みを止めずにやれるように、というのは意識してやっているかな、と思います。











シーガルスの魂を繋いでいくこと






――入野さんが個人的に、大きなビジョンとして考えていること、やりたいことはありますか。



今大きいのは、やっぱり大学バスケ、東海大のホームゲームのような規模の試合を多くしていきたいというのが大きなビジョンですね。チームを優勝させるとか、令和最強のチーム東海!みたいな目標とか、そういうビジョンももちろん持っているけれど、それ以上に多くの人に観てもらいたい。これだけ準備をしてトレーニングもしてやっているからこそです。その一試合にかける思いというのは学生ならではの良さがありますよね。それを多くの人に観てもらいたい、というのはあります。大学はまた高校と、終わり方も違う気がしますね。



――先日Wリーグの実況で刈谷へ行かせていただたんですが、会場はその日、デンソーアイリスの髙田真希選手が一生懸命集客されて、チケットが完売したんですね。その試合後のインタビューで「自分たちがやっていることはみんなに観てもらうからこそ価値が生まれるものだと思っている」と仰っていて。どれだけいい準備をしてどれだけいい試合をしても観てくれる人がいないと、ということをお話しされて、本当にそうだなと思ったんです。



自分も監督をやっていて、諏訪でやっていた頃の方が地元の新聞にも取り上げてもらったり、地元のおじいちゃんに声を掛けてもらったり、そういうのは高校のときの方が多かったですね。自分も髙田さんと同じ思い、それは大学バスケにも言えるかもしれないですね。自分のビジョンみたいなところでいくと、多くの人に、ファンに観てほしいということだったら、B.LEAGUEファンの人たちに大学バスケをもっと気にしてもらうようにするとか、今は推し活という言葉もよく聞くので、シーガルスとしても発信をもっとしていくとか。B.LEAGUEと試合の時期をずらすとか、配信をもっと増やすとか。シーズンの切れ目なくどのカテゴリー含めても、毎週バスケットが観られる環境というのも、いいかもしれないですよね。



――新体制を楽しみにしている方もいらっしゃると思います。



自分からすると、やはりもっと発信していくところがないとと思いますね。興味を持って来てくれる、シーガルスのバスケットはどうなっていくんだろうって思ってもらえればすごく嬉しいです。ある意味みんな注目してくれるというか、いいも悪いも、陸さんから変わってというところはあると思うので。



――陸川さんはベンチにいらっしゃるんですよね。



はい。困ったときに陸さんに聞けるというのが強いかなと。今、シーガルス全員の叡智を結集して、バスケット、トレーニングをやっていますね。最善を尽くすとはこういうことだなと思っています。新シーズンが始まっても毎日いい練習が続けられていて、それは4年生のおかげだし、スタッフたち、選手たちがやってくれているし。一番いいのは、朝みんなでコーチも集合してウエイトトレーニングをやっていること(笑)。



――すごすぎますね(笑)。でも、そういうことが大事だと思うんです。心の集まりが。



タフなことをやらせるだけでなく自分たちもその場にいて一緒にやるという。一昨年から自分が参加してコーチのウエイトトレーニングもレベルが上がりましたね(笑)。陸さんとは、朝もっと早く集まってトレーニングをしながら、2人でしかできない会話をすることもあります。陸さんのシーガルスの魂を自分が繋いで、次に繋ぐということなので。これがもし一時代で終わるんだったら、陸さんが最後までやるところを、まだまだやれる状況で自分に渡してくれたということですよね。それがシーガルスの魂だったり、次年度以降も続けていくためのことだと思っています。自分でいうのもあれですけど、高校のときと自分自身もだいぶ変わった気がしていますし、周りからも言われますね。環境の変化もあり、やることも全く違うしという状況で、今は重圧よりも楽しさが上回っているということかもしれないですね。陸さんもそれを大事にしていて「正しいより楽しいだぞ」という。正しいことももちろん大事なんだけれど、それを追求してばかりだと息苦しくなるというか。



――私が現役のときから感じていたことでしたが、改めて東海大の団結力のすごさを感じました。



自分が就任するということは自分が次を決める、ということだからそうやってチームを繋いでいくということですよね。諏訪で一度チームという家を建てたから、もう一度、東海大という大きな家が出来上がっているなかで、いかに全体をうまく作っていくか。いろんな形で選手たちに伝えて、心が動く体験をあらゆる角度から模索していく。今は引っかからないかもしれないけど、タイムラグがあっても、いつかあのときの、と思ってくれたらいいかなと。選手たちの心に火がついて、それがどんどん繋がればいいかなと思っています。ビッグファミリーというのは本当にチーム力で、どんなに個が揃ってもチームとして横と縦の関係が築けないと、いい方向にはいかないと思います。そういうチーム力は自分も大学4年間で教わったし感じました。逆に今、選手たちには全体最適化というのを求めていて、どうやったらこのチームが良くなるか考えて行動をとってくれたらいいよ、と伝えています。チームとしてあるべき姿を求めていくことが、応援される、愛されるチーム作りに大事だと思っています。



――次のシーズン、とても楽しみにしています。ありがとうございました。











写真提供/入野貴幸コーチ

企画・構成・編集・写真

インタビュアー/船岡未沙希



 
 
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