「変革者になる」日本の夜明けを信じ続けて 中川和之さん
- MISAKI FUNAOKA
- 10月15日
- 読了時間: 12分
今回は、バスケットボール界で
長年活躍されてきた中川和之さん、
愛称“カズさん”にお話を伺いました。
キャリアのなかで
常に挑戦を続けてきたカズさんに
B.LEAGUEのこと、
力を入れられている育成のこと、
これからの日本の
バスケットボールについてなどを
お聞きしたかったからです。
また、カズさん自身も
新天地、長崎県で
さらにご活躍の場を広げられています。
時には破天荒ともいえるほどの経験や
そして今もなお、新しいことに
どんどんトライし先を見据える言葉は
挑戦を続ける人たちの背中を
力強く押してくれることと思います。
これまで
山口県下関市出身のカズさんは
小学校3年生からバスケットボールを始め
下関市立東部中学校では
全国大会準優勝を果たします。
豊浦高校ではインターハイ、
冬の選抜ともにベスト16入り
国体でもベスト8入りを果たし、
専修大学へ進学。
大学では、新人戦やリーグ戦など
主要4大タイトルを制覇。
専修大学悲願の日本一にも貢献されました。
ここからが
異例のキャリアのスタートともなりました。
専修大学4年時に、アメリカの独立リーグ
ABA Long Beach Jamの
トライアウトを受け、
そのトライアウト終了時に契約を勝ち取り
在学中にプロ選手としてのキャリアを
歩み始めました。
1年間の武者修行を経て再び渡米し、
ABA Harlem Strong Dogsでは
スタートを任され
さらにはABAオールスター選手に
選出されるなど
自らの手でその道を切り開いていきます。
その後もアメリカの独立リーグや
日本のbjリーグなどで活躍し
2018年、当時所属していた
B.LEAGUEアースフレンズ東京Zで
現役を引退されました。
その後は指導者の道に進み、岡山県の
IPU・環太平洋大学女子バスケットボール部の
監督に就任。
国体チームなども率いたのち、
拠点を長崎県に移されます。
2024年4月にはU12、U15クラブチーム
『DIVER CATS NAGASAKI 』を設立。
チームの活動と並行して、
解説者などとしても活躍の場を広げられています。

変革者になる
――まずは長崎で活動をスタートされた経緯からお聞きしたいです。
そもそもは自分が7年前に引退したときに、変革者になりたくて。変革者といったら、坂本龍馬だと思っていて、自分の引退のときのインタビューで「バスケ界の坂本龍馬になる」って言ってるんですよね。坂本龍馬が最初に作った会社が長崎で、自分もそういうチャレンジをするならここかなと。そこで会社やチームを作ってやってみたいというのが、理由としてひとつです。あとは猫が好きなので、猫の街長崎、それも理由のひとつです。そしてこれから日本のバスケットは、グローバルなことをどんどん入れていかなくてはいけないから交流が必要だと思っていて、そういったことを意味がある街から発信していきたいという思いもあります。昔のルーツを辿っても唯一世界と繋がっていたのは長崎で、いろんなカルチャーがあるここから発信することにも意味があるのかなと。先に言った2つの好きなものも加わって、むしろ長崎しかなくなったというところですね。
――いろんな要素が合致していますね。もともと選手時代も各地で過ごされた経験が多いから、ゆかりがない土地に住むことにも抵抗がないですよね。
まったくないし、引っ越しももうプロフェッショナルになってるから(笑)。猫のために同じマンションのなかで引越しをしたところです。
――今長崎での活動のメインは何ですか。
『DIVER CATS NAGASAKI』というU12、U15の男子のクラブチームですね。他にもいろいろあるけど、解説、クリニック、『ノビトールMAX』というサプリ、などなど。
――選手としてもまだまだご活躍中ですよね。
シニアとして人生初の九州大会にも出ます。(インタビューは8月で、その後全日本社会人バスケットボール選手権に出場)20代の選手のリーグにも出てるし、本当にいろんなことをやっています。
――長崎に来られて1年半くらい経ったと思うのですが、心境の変化は感じますか。
好きなものをやって生きてるという実感はすごいありますね。前職は授業や学生指導や保護者さんの対応などもあって、バスケットに割く時間というよりも、それをしたうえでバスケットという感覚だったので。いい勉強になったし仕事自体もありがたかったけれど、バスケットにフル回転してやりたいという気持ちと、あとは育成方面にいきたいという思いは当時も持っていましたね。だから、だったら自分でチームを作ろうと。
――今は全力で自分のやりたいことをやっている感覚ですね
全振りですね。バスケットするし、猫と遊ぶし、ラーメン食べるし(笑)。やりたいことしかやってないですね。
――選手から大学の監督を経て、ここまでの経験が、今自分がやりたいことに全振りできていることに繋がったというか、これがあったからこその今だな、と思うことはありますか。
めちゃくちゃありますね。ひとつは監督業をやって、コーチング的な知識も経験も、さらには哲学もしっかり持てたところ。学生や保護者さんとの関わりのなかで、いろんな対応もできるようになったし、学生指導課にいた経験も、授業を英語でやったのも、いろんな経験が今に全部活きてるし、繋がったなとも思います。
――実際に長崎に来てみて、バスケカルチャーはどう感じていますか。
どちらかというと、大人しい雰囲気は感じています。ただ、お祭りが盛んで、そのギャップがこの街を好きな理由の一つ。ユースのクラブチームも、チーム数はもちろん福岡みたいに多いわけじゃないし、元々人口もそこまで多い街ではないから、規模としてはまだ小さい方だとは思います。でもそれこそB1の『長崎ヴェルカ』というチームがあるし頑張っている県だと感じていますね。
――ヴェルカの存在も大きいですよね。
大きいですね。スタジアムシティもできてアリーナもすごいし。僕が長崎に行くと決めた時はまだできていなかったし、本当にいい時に来たなと。
――今後、長崎県でどういう展開を目指していますか
まずは育成のところで、小中学生の頃から海外の交流ができるようにすることです。いろんなステップは必要になるけど、ゴールとしてはアリーナですね。結局箱がないと、と思っています。そして宿泊施設込みのところがないと、海外から呼べないんですよね。宿泊費がカバーできるようになれば、いろんなところからチームを呼べるようになると思うし。それが一つのゴールだとは思っています。それに加えて、子どもたちが海外に行ける環境を作りたい。そして3人制のプロも作りたいなと。だから今はファーストステップずつ、やっていっている、という感じです。そして最終目標は引退したときにも言ったけど、日本代表男女の金メダル獲得に貢献したい。自分の仕事は育成の方で、裾野の方からそれをやっていく。大学からプロを目指す、大学から海外に行くっていうことはもう遅いと思っています。かといって、みんなが行けるわけではないから、だったら海外に行ける環境を育成世代に作る、僕的には今はそれが一番かなと。

レベルが上がる一番のチャンス
――B.LEAGUEの盛り上がりをどう感じていますか。
めちゃくちゃすごいと思います。サラリーも上がったし、インテンシティも高いし、みんなが対世界をイメージしているんだなと思います。
――試合もよく観ていらっしゃると思うのですが、カズさんの現役時代との違いを感じる部分はありますか。
フィジカルになってきたというのをとても感じます。基準が上がったな、と。やっぱり日本代表があれだけの結果を残したから、それも大きいと思いますね。日本代表がどのくらいの基準でやっているのかというところや、世界でやるためにどんなことが必要かという部分を持ち帰ってきて、「世界でやるためにはこれだけやらないといけないんだ」がリーグまで落ちてきたんだと思います。今までももちろんそうだったけど、世界で挑戦した人間が増えたのが一番の違いだと感じていますね。日本からNBA選手が出たり、NBAでプレーしていた選手が日本に来たり。「日本代表が強くならないと何にも変わらない」ということは自分が現役時代から言っていたところです。そしてB.LEAGUEは今の高校生、大学生がリアルに目指す場所に変わってもきているし、学生からプロに上がる子も多い。自分たちのときはプロは大人になってから行く場所、だったんですよね。だから、あそこにいくために1日1日の部活動の練習にどう取り組むかと考える子が増えてきたということですよね。ということは、そのまたさらに下の世代の子たちはその学生の選手たちを見ている。いわゆる、リッキー・ルビオは14歳、ルカ・ドンチッチは16歳でプロ、そういう子たちが出てきてもおかしくないと思っています。
――B.LEAGUEは、中高生や大学生が当たり前のように目指す場所になっていますが、幸せなことですよね。
日常ですもんね。自分たちのときは、バスケットはたまにテレビで試合を観るくらいだったし。僕が大学を卒業してからbjリーグができたんで、自分はアメリカでプロになるっていう選択をした。小学生のときにはもうプロになりたいと思っていて、それを言い続けた結果アメリカでなれたんですけど、じゃあなんで子どものときに「NBAでプロになりたい」って思わなかったんだろう考えると、イメージしたことがあまりないからだったと思っているんですよ。今の子たちはNBAでのプレーもイメージできるじゃないですか。だからこそ、遠慮せずに妥協せずに恥ずかしがらずに、自分の目標を謳って、それに向かっていくことを大人が邪魔をせずに支える工夫が必要だと思っています。
――いろんな相乗効果が生まれていますよね。日本代表も活躍する、B.LEAGUEも盛り上がる、学生たちがそれを目指す。これを止めたくないですよね。
止めたくないし、強くなっているのはプレーヤーだけじゃないんですよね、その価値が上がっているから、スポンサーさんもつく、サラリーも上がっている、ということは選手たちも、より質が高いトレーニングとかにお金をかけられる。そういった相乗効果で今レベルが上がる一番のチャンスですよね。僕たちのときとはお給料、0ひとつ違いますからね(笑)。
――そうですね。私は日本のバスケットの歴史を創ってきた人たちのことを忘れずにいたいし、伝えていきたいと思っているんですけど、だからこそ今この途上で、そういう活動をやりたいと思うんです。今の選手たちが当たり前のように目指すB.LEAGUE、でもここに至るまでには先人たちの戦いがあったからなんだということ。
自分たちのときは本当に大学スタメンクラスとか、代表クラスの何人かがスーパーリーグにいけるっていう感じでしたね。だから当時は、各大学のMVPクラスがみんなベンチの端っこに座ってるみたいな。チーム数も少ないし、そこに入ること自体がとても大変だった。今は実力ももちろん上がっているけどチーム数も多いから、プロになることは昔よりは難しくなくなったかな、と。今は恵まれていると思うけど、それを創ってきたのは選手たちだし、周りの人たちもそうですよね。
対海外を「日常」にしておくこと
――カズさんから見て、育成の現状はどう感じていますか
対海外との準備という点がひとつ必要かなと思っています。こればかりは海外と対戦しないことには無理だと思っているので。小中学生はいつ海外のチームと試合するの?と考えたときに、やったとしても年に一回くらいのイベントごとくらいしかない。それを考えると、早いうちから海外のチームとの試合が当たり前になるような状況を作りたい。そうしないと結局、僕もそうだったけど、大学卒業の前後くらいの時期に行っても、英語も分からないし、そのカルチャーに面食らってしまう。だからそれを先に「日常」という状況に早い段階からしておくこと。そうしておけば正直自分ももっとチャンスがあったかもしれないと感じていますね。そういった思いをした人は他にもたくさんいると思うので。選手が成長するのもそうだし、早く海外に行く選手が増えることで、可能性がある選手も増えると思っています。海外の大学もそうだし、WNBAやNBAに行く選手が増えれば、当然日本代表にそういった選手が加わるわけで。
――特別、ではなくて日常にできるかどうか大事ですね。
本当にそうだと思いますね。
――今後の日本のバスケットの未来にはどういうことを期待したいですか。
現役時代からずっと思っているけど、日本代表が強くなるのがやっぱり近道だから、どうやったら代表が強くなるのかと考えたときに、育成世代からスーパースターが出てこないと、と思っています。きっとどこかの街にいるはずだから、将来性も含めて選手たちをしっかり見て、大人が協力してそういう選手を育てていくことだと思いますね。それと、サッカーが本当にいい例だと思っているんですけど、海外でプレーをした選手が日本代表に加わる、それが強くなるためには一番だと思ってるんですよね。そのためにまずは海外へ行く抵抗を無くさなくてはいけないとダメだし、言葉も分からないとダメだしとも思います。
――カズさんご自身がアメリカへ挑戦を続けたことの経験を持って言えることでもありますね。
自分は英語が分からないし(笑)、今思うと、言葉も分からないなかで冷静になったら無理だったなと思いますね。当時アメリカで、チームに練習に来るなと言われたのも分からなかった(笑)。でも、クビになったときに、帰国できないからとりあえず練習には行って、そうすると練習には入れてもらえるようになって、でも試合には一回も連れて行かれないという時期がありました。これはやばいなと思いながらも、ひとりで練習したりブルックリンの公園で子どもたちに笑われたりして。そうしてなんとか過ごしていたらある日突然電話が来て、「ガードが怪我したからお前今日来れるか?」と。その呼ばれた試合で20点取って契約になったんですよね。そこからレギュラーになって、スタメンになって、と。本当にいろいろな経験をしたけど、最初にクビになったときに日本でプレーする選択もあったなかで、西でダメなら東でしょうとまたアメリカに行った。この選択が今を支えているというか。本当にやって良かったと自分でも思いますね。
――今後どういう人生を思い描いていますか。
アリーナを作って、男女日本代表の金メダル獲得に貢献して、みんなをハッピーにしたい。パリオリンピックでは自分が大好きなバスケットという競技でみんなが興奮しているのを見て、日本の人たちを元気にできるんだって思ったから、本当にそれだけのために生きている感じです。それを目の前の子どもたちが担うわけだから、優先順位としてはそれが一番大事。そして、アリーナを作るとかそういう大きな目標に向かって、日々コツコツと、自分ができることをやるだけだと思っています。
――貴重なお話をありがとうございました。


写真提供/中川和之さん
企画・構成・編集
インタビュアー/船岡未沙希


